人生100年時代だからこそ

人生100時代

人生100年時代だからこそ、ひと休みする時期が必要ではないか?
昨年の自らの体調不良を通じて考えるようになった。

マルチステージへのシフトは必要だろう。
各ステージの優先事項を決めるのもしかり。

ただその前提は「健康」あってこそと思う。

大学卒業後新卒として就職し数回の転職を経験した。仕事人としてのほぼすべてを企業人として過ごしてきた。様々な企業文化に触れることができたのは、ダイバーシティが叫ばれる今、貴重な経験だったと言える。

なにより、人としての成長を感じられたし、多くの人と知り合えた。これらは財産以外の何物でもない。

100年は長いようでいて短い。短いようでいて長い。
誰もが経験してこなかったこの時を、よりよく過ごすための「ひと休み」。

人生は常に右肩上がりのはずはない。そのような曲線を描く必要もない。
紆余曲折ありつつも、結果として自分が思い描く目的を満たせればよいのではないか。
それこそ白洲次郎が書いたジープウェイ・レターのように、アプローチの手段は人により異なるだろう。

描く目的が自身の成長であるならば、その曲線は右肩に上がっていくのかもしれない。

私の場合、半ば強制的に休息せざるをえなかったのだが、当初は「休み方」がわからなかった。オンオフのスイッチングができなかったのだ。逆説的だが、これでは体調を崩しても仕方ない。

現在、デジタルデトックスジャパンのEPを務めるにあたり、

最高のONのために最高のOFFを

は、最高のキャッチフレーズであるとしみじみ感じている。

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