社会人大学院生として得たもの

入学のきっかけ

今から15年ほど前、会社勤めをしながら大学院で学んだ。仕事の中で、自分に足りないものを思い知らされたのがきっかけだった。私のミスを会社は寛容に受け止めてくれたが、今思い出しても苦々しく感じる。仕事に対する姿勢や考え方が一変した。

入学と同時にマネジャー職に就き、職場環境は大きく変わった。

激動の日々

eラーニングのプロフェッショナル養成を目的としたネットで学ぶ大学院だった。通勤電車の行き帰りは論文を読みまくり、週末は朝から晩までレポートに追われた。提出締切が月曜朝に設定されていたため、日曜夜遅くまでレポートを書き上げ、その後NHK『世界ふれあい街歩き』を観るのが唯一の楽しみだった。好きだったジム通いもこの間は封印した。

2年目は修士論文の研究に向け、直接指導を仰ぐことが多くなった。金曜日終業後、大学院のある熊本までフライトし、日曜夜に帰宅。翌日から出社といった、今では信じられないような時間を過ごした。激動の2年間だった。

戸惑い

大学院の成果を問われたとき、はっきりと言えることがある。
それは地道な積み重ねの意味、基礎研究の重要性だ。

論文テーマを決める際、当初は大きなテーマばかりを探していた。そのたびに担当講師からダメ出しが続いた。1年という短い期間で結論を出せるテーマではないと言うのだ。その意味がわからず、テーマを出しては差し戻しといったやり取りが続いた。

その結果決めたテーマは、その時の自分にとってはまったく物足りなく思えるものであった。正直、こんな研究をして何になるのか?といった意識すらあった。 この考えの誤りに気がつくには、それほど時間はかからなかった。

研究からの気づき

論文執筆前、関連する論文はほぼすべて目を通すようにと言われた。研究に入った段階で同じテーマを扱った先行研究に気付いたとしたら、それはとても恥ずかしいことですよ、と。

米国が主流となっている研究テーマだったため、当然のことながら海外論文にも目を通さねばならない。英語が苦手な私にとっては苦行だ。

多くの論文に目を通すうちにふと気がついた。
仮説を立案し検証しようとしているテーマは、先人たちの膨大な研究成果あってこそ、なのだと。
先人たちの研究の一つひとつは、砂丘の砂粒のようなものなのかもしれない。

しかし、その一粒があり、集まるからこそ砂丘は存在する。このことに気がつくようになってから、悠久の時の流れに身を置く自分を感じられるようになった。なんともロマン溢れる話なのだ。私もいずれは先人の一人と言われるよう、一粒になりたいと思った。

一粒の砂として

自らが新しく事業を立ち上げた今、次世代につなぐ感覚を強く持っている。
ビジネスパートナーは、私よりも若い人がほとんどである。
過去の経験やナレッジだけに頼るのではなく、自らも学び続け触発される中でバトンを渡せたら、と思う。
先行者として、一粒の砂として。

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