石田夏穂『我が友、スミス』を読む

久方ぶりに小説を読みました。

小説を読むのはいったいいつ以来だろう。
友人から勧められなければ、この本も手にすることはなかっただろうな。

「この本を読んだ感想を聞きたい」と友人に言われ、手に取った一冊。
筋トレがテーマになっているので、そういうことかなと思い、読み始める。

そういうことか。

筋トレだけでなく、コンテスト出場がこの本では描かれている。この本の主人公はアラサーの女性。こっち(ボク)は60代のおっさん。ボクがコンテストに出場したのは50代半ば。

とはいえ、ページを繰るごとに頷きは深くなり、「そうなんだよ」と独り言が出てくる。年齢性別違えど、トレーニーの心理がきめ細かく丁寧に描写されている文章に共感の嵐、絶賛。

たとえば、こんな一節。

Nジムに入会してから、私のトレーニングは根本的に変わった。 最大の変化を遂げたのは、身体つきもさることながら、集中力だったと思う。 本物の集中というやつを、私はNジムで知ったのだ。

私はNジムに入り、今までの人生において、自分が終ぞ集中などしたことがなかったのだと知った。
これをやると決めた種目に没頭し、その間、他のことは一切考えないこと。あるいは、この一点集中こそが、私が筋トレに求めたものだったのかもしれない。身体は、一番正直な他人だ。身体を酷使することによる思考のシャットダウン。私は日に日に強靭になっていく身体は元より、この真空地帯に淫したのだった。

何かに集中するのが難しい時代。筋トレは自らのうちに真空地帯を作れる稀有な営みだ。

以下、私事。
その昔、人事のことで上司に楯突き、けんもほろろに扱われ「こんな会社、辞めてやる!」と息巻いて家路を辿る途中。通い始めたばかりのジムで腕立て伏せを10回できたときの喜び。数時間前の剣幕はどこへやらで、自分で笑ってしまったことがあった。「あんなに怒っていたはずなのに、腕立て10回できたことがこんなにうれしいなんて!」と。筋トレはそれほどまでに集中させてくれるのだ。

Wi-Fi環境下にあるジムでは、多くの人(あえてトレーニーと呼ばない)がスマホを見ながら、身体を動かしている(あえて筋トレと呼ばない)。

「マルチタスク、ここに極めり」ではないが、重い鉄の塊を扱いながらスマホを眺める。いやもとい、スマホを眺める合間に鉄の塊と戯れる。これはいったいなんだろう?と思う。新たな遊びか? なにもかも、もったいない。

以前通ったGジムにWi-Fiはなかったし、自らのトレーニングに集中するトレーニーが多くを占めていた。比べるのはどうかと思うが、集中力を欠く人たちのなかでのトレーニングは、さらなる集中力を強いられる。まるで修業のよう。

集中は内観につながる。そこでこの一節。

筋トレをすると、自分の大したことなさが、文字通り身を以てわかるのだ。肩で息をしながら、ああ、自分は、このたった三枚のプレートに負ける存在なのだと。そうした敗北感に日常的に接しているからこそ、何やら悟りに至った禅僧のような、一皮剥けた謙虚さが身についてしまうのだろう。人格者化するトレーニーは後を絶たない。
<中略>一線を越えたトレーニーには哲学者っぽくなる傾向があった。<中略>運動が健康にいいのは確かだが、ボディビルのための筋トレはもはや健康のためではないし、むしろ遣り過ぎると健康を損ねる可能性もある。それをあえてやろうというのだから、トレーニーには相応の動機づけ、もとい哲学が必要になってくる。

ちょっと長い引用だったけれど、この日常的な敗北感を味わうからこそ、謙虚なトレーニーは多い。
体重130キロで総合格闘技歴のある後輩パーソナルトレーナーは、合同トレーニング後に手料理を振舞ってくれる。カワイイったらありゃしない。

こういったことがわからず、ただ単に鉄の塊をぶん回し悦に入っている輩にはおおむねジムマナーがなっていないような人間が多いように思われる。音を立てながらバーベルやダンベルを雑に床に降ろす。エリアやラックを占拠して他人の利用はアウトオブ眼中。独りよがりな自己効力の虜になっているのでしょう。

トレーニングへの向き合い方やマナー、そしてそれらの表現としての見た目「身体つき」は密接に関係している。

トレーニーあるあるの視点に立っても面白いし、アラサー女子がコンテストに出場するストーリーとしても興味深く読める。真摯にトレーニングに取り組む人間にとって、うれしい一冊であるのは間違いなし。

ということで今度、50代おっさんがコンテストに出場したストーリーでも語ろうかな?

石田夏穂『我が友、スミス』を読む” に対して1件のコメントがあります。

  1. コバ より:

    さすが、長年、身体を鍛えている方ならではの感想ですね。集中力が鍛えられるという点に感嘆しました。私も読んでみますね。

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